2003年10月例会報告


ご講演者 赤松順太氏 著書:「新トルコ風土記」(1984)と
「トルコ生活紀行」(1997)

 10月8日(水)の例会において赤松順太氏(元三井物産アンカラ事務所長)の『真の改革者「建国の父」ケマル・アカチュルク』と題するご講演をお聴きした。ご講演は(1)今なぜアタチュルクか、(2)彼の生い立ちと軍人としての前半生、(3)軍人と政治家の共存した時代、(4)共和国指導者として改革、(5)ライバル エンヴェルの存在意義、(6)ケマリズム6原則について、非常に判りやすく説明され、現在の日本の政治と対比しながら考察された。
 今回、竹内政太郎氏、青木満男氏のゲスト参加者を得て、活発な質疑応答があった。
 『アタチュルクなくして現在のトルコなし』と言うのが左右を問わぬ共通認識であり、ここで、その功績をすべて要約することはできないが、強いて2点挙げるとすれば(A)ガリポリの戦闘と(B)ローザンヌ条約である。
 (A)ゲリボル(ガリポリ)半島の戦闘は第1次世界大戦でトルコ再生のきっかけとなったと言う点で重要である。首都イスタンブールの攻略を目指して、オスマン・トルコなど一ひねりとやってきた英仏の陸海軍を、劣勢だったトルコ軍が阻止して、司令官ムスタファ・ケマル(のちのアタテュルク)の勇名が上がり、トルコ共和国建設の伏線となった戦いある。凄惨な白兵戦が繰り返され、双方で40万にも上る死傷者、戦病者を出したと伝えられています。戦いそのものが、国際政治の上で大事件だったのですが、さらに現代に意味を持つのは、アタテュルクが戦後に呼びかけた武士道精神です。今、半島内各地に、双方の慰霊塔やモニュメントが建てられ、墓苑が造営されて、美しい花で飾られています。極め付けは、英(アンザック)軍が上陸した海岸(アンザック湾と呼ばれている)に建つ、アタテュルクの言葉を刻んだ敵軍将兵、その母親への言葉を刻んだ慰霊碑でしょう。 
 『
その血を流し、一命をなげうった英雄たちよ 諸君は今、友好国の土に埋まっている。ゆえに安らかに眠れ。ジョニー(英国人)とメーメット(トルコ人)との間には、我々にとって何の違いもない。だからこそ彼らはこのわが国土の中で、隣り合って眠っているのだ。遠方の国々から、わが子をここに送った母たちよ 涙を拭え。息子たちは我々の胸の中にある、ゆえに平安に眠っている。この土地で命を失ったからには、彼らは我々の息子でもあるのだ。』アタテュルク 1934
 このアタチュルクの気持ちは、近代の所謂「博愛」の思想ではなく、国家への奉仕と、戦闘に当たっての、兵士の勇気を称えたものであります。これは第二次世界大戦関係国が日本軍に対して示している、過度の偏見、残虐性と対比して興味深い。

 (B)第一次大戦でドイツに賭けたトルコは敗れ、オスマン王朝は滅亡し、セーブル条約により領土が極端に縮小されかけたとき、アタチュルクが立ち上がり、列強の侵略を阻止し、屈辱的なセーブル条約は実施されることなく、新たにローザンヌ条約が締結され、トルコの諸々の権益を回復した。彼は共和国の建国を宣言し、初代大統領に就任した。トルコ国民国家の樹立であり近代的な意味における「トルコ国民」の誕生である。敗戦のどん底から立ちあがって、大国やその同盟国を実力で退けた国民的なエネルギーの源泉はなんだったのか、現在のトルコにおいても国民的記憶となって生きている点を日本も見習うべきであろう。
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