2005年11月例会報告


2005年11月9日(水)
阿部哲夫氏から
「日露交渉再録」と題する
ご講演を頂いた。

左の写真はご講演中の
阿部哲夫氏
講演要旨:
 日本が開国した当時、世界は弱肉強食の時代、列強による植民地支配の時代であった。
 列強の一つロシアは、東進政策、南下政策を採り、満州、朝鮮への進出を図っていた。日本に隣接するこれらの地域は当事者能力が乏しく、その上腐敗していて、ロシアの思いのままにされていた。三国干渉によって日本から遼東半島を横取りすることに成功したロシアは、ここに旅順、大連などの要塞、貿易港等を築き、更に朝鮮に進出する動きを見せた。日本から見ると、これは国家の生存にかかわる極めて重要な問題であった。日本はこの状態を平和裡に解決するため、満韓交換論と言った譲歩案を提案するまでして努力したが、ロシア側は聞く耳を持とうとしなかった。

 平和的交渉に行き詰まった日本は、ロシアと戦う道を選ばざるを得なかった。自他共に日本不利と見られていたが、1904年、日本は国家の命運をかけて開戦に踏み切った。
 当時の国力全てを賭けて戦った結果、日本は大方の予想に反して緒戦から勝利を続け、旅順要塞を攻略した後、遼陽、奉天などの地上戦で膠着状態に持ち込むまでに善戦した。日露両国が総海軍力を投入して戦った日本海海戦では、世界注視の中で日本が完勝した。
 ここにいたってアメリカのセオドア・ルーズベルトが両国に講和を勧告、日本は小村寿太郎、ロシアはセルゲイ・ウィッテを全権として講和会議が開かれた。その結果日本は、朝鮮、遼東半島、南満州、南樺太等の支配を勝ち取り、その後の朝鮮併合、満州国建国の礎を築いた。
 日本が日清、日露の戦争に勝利したことで、日本の近代国家としての軍事力を含めた国力が実証され、半世紀に亘って日本を苦しめてきた不平等条約が、ようやく解消された。当時は世界レベルの軍事力と植民地を持つことが、一流国、列強の資格と見なされていた時代だった。
 また日露戦争では、当時の国際情勢とか彼我の戦力差等を冷静に判断した上で、当初から短期決戦を狙い、最善のタイミングで第三者による調停に持ち込むことを基本戦略として計画していた。そしてその通り実行したという意味で、日本の実現した最高の国際戦略と云って良いのではないだろうか。
 しかし日露戦争で日本を支援した米英は、列強の一員になった日本をこれ以降警戒し、敵視し始めることになる。一方勝利した日本は傲慢になったこともあって、こうした米英の動きに反発、日本と米英との関係は悪化の道を辿った。ついには太平洋戦争、そして敗戦へと突き進んだ。
 傲慢になることは、企業にとっても国にとっても、好ましいことではない。バブル当時、日本は痛烈にこうした失敗を犯し、反省させられた。最近ではアメリカが、同じような問題を抱えているように感じられるがどうであろうか。


日露戦争-日本が実行した最高の国際戦略(本文)はこちら
日露戦争-関連年表はこちら
日露戦争-関係図はこちら
日露戦争-文献はこちら


copyright (C):1999 smile-kai, all rights reserved